中国留学の回顧録


中国留学 1年生

中国語教室 中文倶楽部 留学の思い出写真 中国語で「こんにちは」「さようなら」くらいしか言えないまま留学し、クラス分けテストは、問題用紙を見てもサッパリ......

鉛筆を転がして答えをではないですが、それに近いものがありました。そして、決まったクラスが1年4組。日本人・韓国人の混合17名のクラスでした。


授業は月〜金の午前8時〜正午までの4コマ。朝から4コマの授業はとても大変でした。だって、レベル0で留学したので、先生が何言っているのかサッパリ分からないんですから。。。先生が何か言うたびに、みんなクラスメートの方をキョロキョロ(笑)。そして、みーんな、目が合った人に小さく首振って「分からないよ」<という合図。


でも、毎日、毎日、毎日。同じ言葉を聞いていると、少しずつですが、な〜んとなく「○▼※◆って感じ?」というふうに、分かってくるようになるんですね!これは、自分でもビックリでした((@○@))


何を言っているのか分からない時は、朝から4コマも じーーーっと座っているの苦痛でした。でも、ちょっと、ほんのちょっと分かり始めたら「通じる楽しさ」を感じることができるようになり授業も徐々に楽しくなってきました♪





中国語教室 中文倶楽部 留学の思い出写真これは、私より半年早く留学された上級生の方達です。

とある大手電器会社のトリオで、もともと少し中国語ができたようなので、私が知り合った頃は、すでに2年生の後半クラスに在籍されていました。お買い物や食堂はどこが美味しい等、あれこれ教えて頂いて、
とても助かりました。また、一時、ホームシックにかかりそうになりましたが、彼らを含め、大勢の友に支えられ励まされ、元気を取り戻したことを今でも忘れていません。





私が留学した頃は、学校の宿舎も現在のように設備が完全ではなく、ほとんどの留学生が2人部屋でした。全部で400〜500人いる留学生が「留学生旧楼」「留学生 新楼」のどちらかに住んでいました。中国語教室 中文倶楽部 留学の思い出写真


で、宿舎は選べる訳ではなく、学校側が金額の高い部屋から新入生を割り当てて行くんです。当時は、そんなことを知る由もなく、早めに手続きをした私は、ちょっとお高めの部屋を割り当てられました.....



写真は、向って左側が私。右側が韓国人ルームメイト。左側に見える冷蔵庫は、共同冷蔵庫があまりにスゴイ状態で、それに恐れをなした私は、自室に自腹で買いました(笑)





中国語教室 中文倶楽部 留学の思い出写真 1学期も終わりの頃、「2学期目に入ると1人部屋ができるらしい」という噂を聞き、宿舎のボスに聞きに行くと「そうだよ!」ということだったので、何のためらいもなく、すぐに申込!

新楼から1人部屋の宿舎「3号楼」へ引っ越した後、分かったのですが、ボスの説明していた事と違うことが山ほど..... これには、宿舎中の学生が猛抗議!!何故か分りませんが、中国語で込み入った話などできるレベルではない1年生の私が、日本人代表になってしまっていました・・・

韓国人代表は3年生。ボスと話合いに行く前には、辞書を引き引き韓国人代表の李さんと打ち合わせしました。李さんは、我慢強く私の超タドタドシイ中国語を言い終わるまで聞いてくれ、『それは「△※●×◇」って言った方がいいんじゃない?』とかって教わって。


ボスとの話し合いの最終回が終わったら、子供でもないのに知恵熱が出ました(笑)




中国留学 2年生

中国語教室 中文倶楽部 留学の思い出写真 ある日、北京に大雪が降りました。(大陸性気候で乾燥しているので、こんなに雪が降ることは珍しいんです)。早速、中国人女子寮まで行って、家庭教師の先生を誘い記念撮影。


当時、私は毎日3〜5人の家庭教師の先生と勉強していました。午前中は学校の授業。午後は14時頃から22時くらいまで1人ずつ交代で家庭教師。

家庭教師の先生とは、ずーっとカリカリ勉強していた訳ではありません(^^;) 学校の授業などの予習、復習が終わったら、一緒に買い物に行ったり、TVを見たり。で、その時に「中国人がどう話すのか」とか「分からないフレーズがあれば訊く」など、とにかく生きた中国語を覚えるために、常に一緒にいるようにしました。

しかも、楽しく一緒に♪



中国語教室 中文倶楽部 留学の思い出写真 ガリ勉タイプではない私。だから家庭教師と勉強する時も、子供が言葉を覚えるように楽しく、自然に。そうでいと、「勉強(中国語でmian3qiang2:無理強いする、強要する)」になって、苦しくなってしまいますものね〜っ!

楽しく、より良い関係を築くために「雪上ダイブ」もしたりして...(ホントは、やってみたかっただけです 笑)


こうやって勉強しつつ、2年生は1学期間(半年)だけで3年生になりました。







中国留学 3年生

中国語教室 中文倶楽部 留学の思い出写真 3年生は、10人ちょっとのクラスになり、全体の2/3が韓国人。

3年生にもなると2年生までとは違い、学歴社会のツワモノが多い韓国人が圧倒的に多かったですね。そして、彼ら、彼女達は、押しが強い!!少しくらい文法が変でも、授業中にガンガン発言。


これは、普通の日本人にはない素質?国民性?だと思います。でも、彼ら、彼女たちのように「ガンガントーク」って言うのは、時として、レベルUPに大いに役に立つことがあります。私の「新しく覚えた単語は、何としても使ってみる」というのは、この時、韓国人の学習姿勢から覚えたものです。


3年生になってしばらくして、体調を崩して長きに渡って授業を休んでいました。でも、その頃には、中国人の女の子と一緒に住んでいたので、授業よりも部屋での方が学べることがたくさんありました♪ 何たって!生活しつつ実践ですから!!



当初は、習慣や考え方などの違いで、言い合いになったりして大変でしたが、今、振り返って見ると、授業では学べない「生活に密着した用語」って言えばいいのでしょうか? そういう言葉と一緒に、中国人の考え方などを山ほど学べて、とても実のある体験でした。


中国語教室 中文倶楽部 留学の思い出写真 留学最後の夏休みには、帰国する外国人の友人を浴衣を来て訪ね、記念撮影。浴衣+下駄で構内を歩いていると......中国人学生がジロジロ。「顔は動かないけど黒目が着いて来る」という状態でした(笑)

普段は、何事にもあまり動じない中国人も、見慣れない物を見る時は、こんな反応をするんだなぁ...って思いました。これは、私的にちょっと小気味良い経験だったので、記憶に鮮明なんですっ!


この夏休みで、1年4班⇒1年8班⇒2年4班(すぐに2年7班へ飛び級)⇒3年1班(すぐに3年2班へ飛び級)という経過をたどった、私の留学生活は終了しました。いよいよ、中国でOLデビューです o(^o^)o